「ひとり終活」は新たな人間関係から

老後に不安を感じている人は多いのですが、その理由を掘り下げてみると、本質は「この先何が起きるかわからない」ということにあります。そこで、自分が何に対して不安を感じているかを書き出すなどして、明確にしてみましょう。そして一つひとつ対処法を考えていけば、不安を和らげることができます。

たとえば介護が心配なら、どんな介護サービスや施設があるかを調べてみる。死後の手配が心配なら、「死後事務委任契約」を検討してみるのです。とはいえ、10年後の社会がどうなっているかはわかりませんから、あまり先のことを考えすぎても仕方がないと私は思います。

ひとり暮らしの人が誰にも看取られずに逝く「孤独死」への不安を抱く人は多い。そうした人たちは「孤独死はかわいそう」ととらえているようです。

でも、10年もすればひとり暮らしの高齢者のほうが主流になりますから、みなさんの価値観もいずれは変わることでしょう。むしろ、家族がいることで気兼ねしたり、足かせになったりすることだってあります。「ひとりのほうが自由でいいね」と言われるようになる日が来ると思うのです。

また、孤独死をして「誰にも発見されなかったらどうしよう」と心配する人もいますが、対処は可能です。早く見つけてもらいたいと願うのであれば、日頃から近所の人に「郵便物がたまっていたら、様子を見に来て」と声をかけておけばいいでしょう。迷惑をかけることを気にしすぎる必要はありません。

手間と迷惑は違います。自立できなくなったら、誰しも周囲に手間をかけますが、手間を迷惑だと思われない人間関係をいかに築くか。それが、「ひとり終活」の原点だと私は考えます。血縁や地縁が失われつつある時代、公的な支えだけでは足りない事態もありうるからこそ、「共助」となる新たな縁を築いていくことが必要です。

もし人と積極的に仲良くするのが苦手でしたら、毎日、人目につく近所を“巡回”するだけでもいい。「私は生きています」というアピールになります。こまめに続けていれば、何かあった時に、誰かに「あの人を最近見かけないね」と気づいてもらえるはずです。

私は夫を突然死で亡くし、子どももいません。でも、ボケようが、どこでどんな死に方をしようが、それを不安に思ったことはありません。「私が死んでもあの人は私のことを思い出してくれるに違いない」と思える友人、知人がいます。だからお葬式やお墓をどうするかも、私自身はどうでもいいのです。

100歳まで生きるか、今日突然死するかは誰にもわかりません。死という時を迎えるまで友人や知人とどう生きるかを考え、自分主体で人生を楽しむ。それが本当の意味での「終活」ではないでしょうか。