その一方に、私が新作を出すたびにあなたのあの句はいいけれど、この句はペケでしょう、と素面で突いてくる女友だちがいる。きまって当方が頑張った自信作に物言いをつけてくることが多く、それはないだろうと反発するのだが、しばらくすると彼女の言うことが腑に落ちるようになる。この友とも幾十年にわたる繋がりが途切れない。親友と呼べる友だちである。
70年近くも俳句を作り続けている身であれば、身辺に俳句仲間が多いのは当然のこと、ところが学生時代のわが友は俳句とはまったく無縁である。卒業以来60余年間即かず離れずで、もはや空気状になっている間柄だが、この学友は何かの時になくてはならぬ支えになってくれる。
ただ若い方々には、私と彼女とがたまに交わす会話のほとんどは理解できないだろう。焼夷弾が宙を切る音、スイトンの作り方、昭和天皇の終戦の詔勅、映画『青い山脈』の杉葉子と池部良、12歳の美空ひばり。いずれも体験裡に生きている事々である。
敗戦直後の貧しい時代のことであったとしても、これらを語るときこそが、潮垂れていた私が生き生きと蘇る「時間」なのだ。
老いて大事なのは、過ぎた時代、過ぎた時間の中にかつて自分も生きていたのだという自らの生存を証明するこんな昔語りの「時間」と、その時間で繋がる「誰か」がいるということであろう。この「誰か」が友だちであっても、ただの話し相手であっても、この「誰か」はとても大事な存在となる。