同じ場所で一緒にテレビを観る

そんな幼少期の環境、家族間の風通しのよさも影響したのだろう、翔平には中学生の頃によくある思春期の反抗期というものがなかったとも母は語る。

「わけもなく反抗したり、態度が悪かったということは特になかったと思います。それは翔平だけでなく、子供たちがそれぞれに自分の部屋に籠ることもありませんでした。特別に家族みんながものすごく仲がいいというわけではないんですが、家にはテレビが1台しかなかったので、何となくみんなが同じ場所に集まって一緒にテレビを見ることが多かったですね。本音を言えば、子供部屋にテレビを1台ずつ置く余裕もなかったですし、みんなで一緒に同じ時間を過ごしたいと私は思っていたので」

両親は子供たちとの時間を大切にした。そして、いつだって末っ子を見守り続けた。どの親でも抱く感情かもしれないが、そこには我が子への深い愛情があった。決して過保護ではない。偏りすぎず、よい距離感を保ちながら、そっと寄り添い温かく見守る愛情だ。

家での食事でも、親子間の空気を大事にした両親。幼い頃は食が細かった末っ子に対し、少しでも食べる量を増やそうと思った母は、とにかく食事時には楽しい雰囲気を作ろうとしたという。

「家族みんなで楽しく食べれば、少しは食べる量が増えるのかなと思って。お父さんが仕事から帰るのを待って、みんなで夕飯を摂る。お休みの日には、ホットプレートみたいなもので、みんなで楽しくワイワイと食べる。食事に関して特別なことをしたわけではなかったんですが、自然とそういう空気を作ろうとは思っていました」

子育てについて、両親は「特別なことは何もしていないんですよ」と笑う。ただ、二人が何気なく作ってきた家族の空気感が、大谷の人間性に深く影響しているように思える。

「今でもそうですが、居心地がよかったですよ」

岩手県奥州市にある実家を思い浮かべながら、大谷はそう語ったことがある。そして、両親への思いも口にするのだ。

「親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいい、やりたくなければ自己責任でという感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですね。たくさん支えてもらいながら、自由にやらせてもらってきたと感じています」