まちと共に生きる -美しい城下町を訪ねて-

横馬場通りとも呼ばれる武家屋敷通り、飫肥城大手門、鯉が遊泳する掘割の画像

上 仲町の一角にある武家屋敷・旧伊東家住宅前。無電柱化で昔ながらの風景が蘇った。

左下 弘前城天守は、石垣修理のため、現在本丸内の仮天守台に移されて公開中。

右下 津軽塗(唐塗)のお椀。「津軽塗の源兵衛」にて。

市民の手で景観に磨きをかける・新潟県村上市

名城・弘前城のある青森県弘前市。慶長8 (1603)年に弘前藩初代藩主・津軽為信(ためのぶ)が計画し、2代藩主・津軽信枚(のぶひら)が同16 (1611)年 に築いた城下町だ。かつては高岡と呼ばれたが、寛永4(1627)年に5層の天守が落雷で炎上焼失した翌年、弘前へ改称された。

弘前城は創建当時、現在の亀甲門(かめのこもん) (北門)を大手門(正門)としていたと伝えられる。その亀甲門の前に広がるのが仲町(なかちよう)地区だ。もとは藩が屋敷を用意し藩士を配置した侍町で、今も碁盤目状の地割や格式高い薬医門、黒塀やサワラ生垣など伝統的な町並みを残しており、昭和53 (1978)年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。

仲町地区伝統的建造物群保存会会長の今井二三夫(ふみお)さん(73歳)は、弘前藩士を祖先に持ち、約270年前から仲町に住み続ける家系だ。

「子どもの頃はお城が一番の遊び場でした。天守を背に陣取り合戦をしたり、お濠で魚釣りをしたりしましたね。私にとって生垣や植木を整え景観を保つことは当たり前の日常です。目指すのは、江戸時代から残る文化と調和する暮らし。生活の匂いがありながら、武士たちが暮らした当時の風格を残す、そんなまちであり続けることを願っています」

ほかの写真

インフォメーション

●交通:仲町伝統的建造物群保存地区へはJR奥羽本線弘前駅より弘南バスで約15分。
「亀の甲門前」下車徒歩約5分。
●お問い合わせ先:弘前市教育委員会文化財課
TEL 0172-82-1642

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