授業で覚えているのは先生の無駄話
ゴルゴ なるほど、「学校の先生」の本質はそこですよね。僕も50歳を過ぎて思い出すのは、授業で習ったことではなくて、先生が話していた無駄話ばかりです。
武田 先ほども言いましたが「金八先生」のときは「子どもがギクッとする言葉」を考えていました。なぜなら自分が子どもの頃にも経験があるからです。
15歳ぐらいのとき、私は悪ぶっていてろくに授業も聞かず、美術の授業中に棟方志功の版画を見て「これは子どもが作ったんですか?」と馬鹿にしていた。すると普段は無口な美術の先生に、「これが分からんやつは人間として不幸だよ」と言われ、動揺しました。
中年になってから、東京都美術館で印象派の絵画を眺めて感動したとき、ふいにこのときのことを思い出したんです。実際、大人になってから京都の史跡にたくさんの見物人がいたり、美術展に長蛇の列ができたりしますよね。あそこにいる人たちは、みんな授業をサボっていた人なんじゃないかと思ったりします。