石原慎太郎さんが2022年2月1日死去した。享年89。昭和生まれ初の芥川賞作家として時代をリードするとともに、1968年には参議院全国区に出馬し、史上初の300万票を得てトップ当選。その後衆議院議員となり、運輸大臣などを歴任した。1999年には東京都知事選で初当選、2012年まで4期を務めた。
1967年4月より内閣総理大臣・佐藤栄作事務所に秘書として勤務し、生前の石原氏と交流のあった(株)「吉香」創業者・会長の吉川稲氏は、自著で石原氏との思い出を語っている
1967年4月より内閣総理大臣・佐藤栄作事務所に秘書として勤務し、生前の石原氏と交流のあった(株)「吉香」創業者・会長の吉川稲氏は、自著で石原氏との思い出を語っている
ある勉強会で〝目撃〞したこと
国内で「すごい人」という意味で私がよく社員たちに話してきたのは、
元東京都知事の石原慎太郎さんのことです。
歯に衣着せぬ発言がたびたび話題になり、時には批判されることもあった石原さんですが、じつは想像以上に気配り、目配りをされる人です。これは、知事時代の石原さんを囲んだある勉強会で〝目撃〞したことです。
何かの拍子で石原さんが知らない話が話題に上ったことがありました。
すると、「その話、僕は知らないな。詳しく教えて」と居住まいを正しながら発言者に向き直り、真摯に耳を傾けていたのです。
このような立場にまで登りつめた方が「オレ、知らないから……」と言う勇気に、私は感動を覚えました。その姿を目にした時、マスコミでは報道されない謙虚な人柄にじかに触れるとともに、人間の器の大きさを感じました。
実は、私が主催したミハイル・ゴルバチョフ氏の講演会の際、シンポジウムの一番重要なパネラーとして、ある方に依頼をしていました。しかし、この方が、講演会の1週間前に「都合で出席できなくなった」と言ってきたのです。
困りはてた私は石原さんにピンチヒッターを要請しました。
石原さんは、すべての予定をキャンセルし、私たちの講演会に参加してくださいました。
このほかにも、窮地はいつもさりげなく手を差し伸べてくださいました。