引き受けたからには、何とか全うしようと覚悟を決めた井沢さん。担当エリア内の高齢者宅を訪問して安否確認をしたり相談に乗ったり。

月の半分はマイクの前で録音作業に没頭しながら、月2回の体操教室、週に1度の作業所のお手伝い、そして民生委員として担当する二十数人の家庭訪問が1人につき月1回。時間はいくらあっても足りない状態だ。

「私にとってボランティアは、人のためというより、自分自身の認知症予防と健康維持。つまり自分のためなんです。やってみたらとても楽しくて、現役時代より充実しているかも」

人見知りしがちな性格もすっかり改善されたと、成長を実感している。

 

「80歳まで辞めたらだめ」と引き留められて

病院の院内薬局に勤務して30年、60歳で定年退職したあとは、地元の薬局の管理薬剤師として3年勤め、その後は悠々自適のリタイア生活に入る予定だった篠田百合子さん(75歳)だが、今も忙しく働いている。

「十分働いたし、これからはのんびり旅行やゴルフ三昧で暮らそうと思っていたのですが、そんな生活は2ヵ月もありませんでしたね」

というのも、病院勤務のとき知り合った女性医師がクリニックを開業することになり、立ち上げを手伝ってくれないかと頼まれたからだ。

「薬剤師の仕事ではなくて、事務局を任されてしまったんです。事務仕事なんてほとんどしたことがなかったし、役に立てるかどうか不安だったのですが、つい引き受けちゃって」

病院勤務中に経営委員会などで顔を合わせることが多かった医師が、自分の仕事ぶりを買ってくれていたことも嬉しかった。

クリニックは大盛況で、診察以外にも介護事業所や老人ホームを付設するなど、事業は拡大の一途。篠田さんも、申請書類の作成や役所との折衝、新病院の開設地探しなど不動産取得の手続きに銀行との交渉、とフル回転。スタッフの採用や人事など、これまでおよそ縁のなかった仕事に夢中になった。

「友人でもあった医師は、次々とアイデアを実現していくやり手の院長に大変身。私はといえば、金策にスタッフ教育にと、慣れない業務にあたふたしていました。今、10年経ってやっと落ち着いたところです」

篠田さんにとって、薬剤師として働いた数十年を忘れてしまいそうなほど、怒濤の10年だったようだ。

「自分でも驚きです。院長と看護師と私の3人でスタートしたクリニックが、今ではスタッフ30人の大所帯になって、給与計算だけでも大変。なんとも忙しい毎日ですが、仕事は面白い。とはいえ、私も後期高齢者。いつまで続けられるか心許ないところもありますね」