『テレビあッとランダム』で得たナレーションの仕事

名前を変えて半年後、初めてナレーションの仕事が舞い込んできた。関口宏さんが司会を務める新番組『テレビあッとランダム』〈1984年(昭和59年)10月~1990年(平成2年)3月/テレビ東京〉で、ナレーターを探しているときに、たまたまディレクターが「変な名前の人がいますよ」って言ったらしい。

『第三の人生は、後編へ続く!』(著:キートン山田/潮出版社)

「キートン山田? じゃあ、ちょっと聞いてみよう」って、僕の声のサンプル(いろんなしゃべり方を入れたカセットテープのこと)をスタッフがみんなで聞いて、「おもしろいな」「この人にしよう」ってことになったみたい。

よく指名してくれたなぁって思う。だって、当時の僕はまだナレーション経験なんてなかったんだから。

こうして始まった『テレビあッとランダム』は、情報バラエティ番組だから「楽しくなきゃダメだ」っていうことで、ナレーションも結構、ハイテンションでしゃべっていた。

毎週のレギュラー番組が軌道に乗って、最後に流れるエンドロールにも、ちゃんと「ナレーション キートン山田」って名前が出るようになったころ、久しぶりに恩人の鈴木芳太郎さんに会いに行った。子どもたちを連れて、堂々と胸を張って。

もう、本当に喜んでくれた。しみじみと「よかったなぁ、よかったなぁ」って……。鈴木芳太郎さんに安心してもらえたことがなによりうれしかった。

芳太郎さんは、初めて就職した会社の事情で、東京から埼玉県の社員寮へ引っ越すことになった際、荷物を運んでくれた出入りの業者のおじさん。あまりに汚い社員寮の部屋を見て、「こんな部屋に住んじゃだめだ!」と、ぼくを自宅へ引き取ってくれたんだ。

鈴木家にお世話になったのは2年ほどだったが、このわずかの間に僕は、鈴木夫妻から人生の哲学や生きていくうえで大切なことを本当にたくさん学んだ。

どん底状態で苦労していたときは合わせる顔がなかったし、正直に言うと芳太郎さんのことを忘れてもいた。でも、一番苦しいときに立ち上がる原動力になったのは、やっぱり芳太郎さんの存在であり、かつての僕への温かい励ましを思い出したからにほかならない。人生はだれと出会うかが、本当に大事だと思う。