まずは「理想の老後」の決めつけから脱却して
この方はご自分でも「幸せな人生だとも思える」と言っているように、すでに答えがわかっているのだと思います。それでもどこかしっくりこないのは、「趣味を楽しんでいる」「友だちがたくさんいる」ことが「理想の老後」だと決めつけているからでは。まずは思い込みをなくし、もう少し柔軟さを持ちましょう。
文章からは、自己憐憫とまでは言いませんが、「自分の人生を認めてほしい」という承認欲求が垣間見えます。でも客観的に見て、夫の介護を終え、子どもも家庭を持ち、健康で年金もあり、畑で野菜も収穫する日々というのは、やはり充実した人生ではないでしょうか。
人は誰でも生きて、死ぬ
この方は「孤高に生きることに決めました」と宣言しながら、「とても寂しいのです」とも吐露しています。自ら宣言するのは、実はまだ決意が足りないからであり、誰かに依存したいことの裏返し。ですから「寂しい」ほうが本音です。
この世の寂しさやむなしさを感じるのは、たましいの視点を持っていないから。人は誰でも生きて、死ぬのです。自分で人生を充実させなければならない。それが孤高であり、責任主体で生きることです。
とはいえ、誰かに喜ばれないと幸せや充実を感じないのも人。親は、食べてくれる家族がいるからこそ、「またご飯作らなきゃいけないの!?」と文句を言いながらも、作るのです。自分一人ならご飯を作る張り合いなどないでしょう。
同じように、夫の介護は大変だったけれど、充実していたのでは? だから介護を終えた今は、空の巣症候群のような状態なのかもしれません。
健康で年金もあるのならば、ボランティア活動などをしてみてはいかがでしょうか。誰かのためにという大我の心で、新しい自分の幸せのかたちを見つけましょう。