花子 これからの季節は、窓の外の庭を見るのも楽しみ。大助くんはいつも庭をきれいにしてくれてるから、散歩に出てみたら、葉っぱ一つ落ちてなかった。

大助 うちは樹齢が300年とか400年とかいう、幹の直径が50センチくらいある柿の木と桜の木が4本あって、あたりに葉っぱが落ちたり、草が生えたりするけど、それは手入れしてます。昔から花が好きだから、買ってきて庭に植えたりね。嫁はんに芸名つけるときも、花が好きだから僕が「花子」とつけたんや。カラフルな花みたいになってほしいって。

花子 そんなこと言うたかて私はこの名前、別に素敵と思ってませんよ。(笑)

大助 そもそも夫婦漫才を始めたのも、僕が「一緒にやらへんか」と持ち掛けたこと。乳飲み子を抱えて、1ヵ月は悩んで返事をくれなかったな。

花子 私は専業主婦になるつもりやったし、ほんまは大助くんにも芸人をやめてほしかったくらい。大助くんのことは、いまでも相方と思ってなくてやっぱり夫です。生涯漫才師の大助くんと夫婦になってなかったら、私は漫才なんかしてない。

 

あわてず、あせらず、あきらめず

大助 小学生のころから「おおべちゃこべちゃ」とか芸名つけて素人番組に出たり、学生時代から吉本に「うち、きいへんか」と誘われてたような、嫁はんが生まれ持った大阪のノリ。鳥取の田舎から出てきた僕にとって、漫才するのに不可欠なものやった。

でも当時の僕は、理屈と理論で分析しないと漫才の組み立てができなくて、互いの呼吸もネタもギャグも全部計算ずく。地獄みたいな稽古の日々を送らせて。ついに嫁はんは自律神経失調症になってしまった。

花子 私がもっと芸に精進してたら、こない病気にならず、乗り越えていけたんじゃないかな。そういう点で、芸人として弱かったんちゃうかなとは思います。