「神様、私の競技にまだまだ運がありますなら…」
いよいよ明日は決勝だ、勝たねばならぬ。
選手の人たちがしきりにいろいろと作戦を教えて下さる。夕食も美味しくすまして、いつものように十時頃床につきましたが、寝られない。決勝のことなど考えると体がビリビリふるえて仕方がない、どんなに考えまいとしても考えずにいられない。
「神様、私の競技にまだまだ運がありますなら、明日の一戦だけは勝を与えていただきたい、もし明日も負けるようなことがあったら、私は日本へ帰れません。また競技もこれが終りです」
と、心からこう叫びました。私のつねに祈る神様は、名前もありません。姿も見たことはありません。しかし、私の運命をつねに左右して下さる大きな力のあることを私は日頃から信じています。
二三度ベッドの上に起きあがってみましたが、容易に心も落ちつきません。竹内〔廣三郎〕監督になだめられて、泣きながら床につきました。
明ければ今日は八月二日です。走幅跳に破れた南部〔忠平〕さん、走高跳、走幅跳の二つにまた惜敗した織田〔幹雄〕さん、槍投の住吉〔耕作〕さん、みんな今日の戦一つをどんなに待ったことか。朝から雨が降ったり晴れたりして、いやに蒸暑い日でした。
朝食を終って後、四人のものは竹内監督から今日の出場心得を教えられて、十時の来るのを待ちました。午前十時になると、ホテルの前に三台の自動車が用意されました。四人が自動車に乗込むと、今日出場しない選手は全部門口まで送って出ます。これはいつの日も行われる選手たちお互の温(あたたか)い心のあらわれです。この日は日本軍にとって大切な日だというので、ホテルの料理人、ボーイは勿論、ホテルに泊り合せている外国人の客までが皆私たちを送りに出ました。君が代が崇厳(そうごん)な調子でうたい出されました。静かな船町の朝の空気を破って、ザンダムの一角に君が代がひびき渡りました。
感情にもろい相澤〔巌夫〕選手の如きは、百に負け、また二百に負けた心を、私たちによって補ってくれといいながら、泣いて君が代をうたう、というよりは、咽喉の奥からしぼり出していられます。出て行く選手たちの眼にも一様に涙が浮びました。
送るものも送られるものも皆涙で別れて、私どもの乗った自動車はアムステルダムの町に向かいました。いつものようにウォーミングアップをしました。皆いつになく気持よく終えて、会場に向いました。決勝の時間も迫って会場に出掛けた時、山本先生は、
「日本の選手のうち誰でもいい、勝ったらこの日本の国旗でからだを包んでくれ」
といって、宮殿下御下賜の国旗を渡されたので、それを会場にあらわれた時は、丁度三段跳の決勝に入ったところでした。
「調子さえよければ一二等をとれるかも知れない、今のところ織田が一等*で、僕が二等です」
という南部さんのよろこばしそうな顔を見て私は八百メートルの決勝に立ちました。
*織田幹雄(1905-1998)は本大会の三段跳で日本人初の金メダルを獲得した