教室に設置したうんてい(写真提供◎池江さん)

泣いて病気が治るなら、私はいくらでも泣いたでしょう。でも泣いたって璃花子はよくならない。そのとき私の心に浮かんだのは、幼児教室でいつもお母さんたちに伝えている「理想の母親を演じる女優になりましょう」という自分の言葉です。

どんなに悲しくても、子どもに見てほしい〈母親像〉を演じ続けよう。璃花子には水泳という希望がありましたから、また競技の舞台に立てるよう全力で支えるために、明るく過ごすと決めました。物事をポジティブに考える教育をしてきたせいか、璃花子も病気の事実は冷静に受け止めていたように思います。

しかし、白血病は想像以上に難しい病気でした。合併症に苦しんで治療が順調に進まなくなったときはつらかったですね。食事もとれず、トイレにも行けない。水泳どころの騒ぎじゃなくて、とにかく生きていてくれればいいという状況でしたから。

オリンピックでメダルを獲れるかもしれない、とまで言われていた子が、日に日に弱っていくんです。そして、お年寄りがリハビリでやるような運動を、そろそろとやるのが精一杯。見ているだけでもつらくて、なんて運命は残酷なのだろうと胸がしめつけられる思いでした。

治療が行き詰まり、「こんな大変な治療をした人が、トップアスリートとして復帰するのはもう無理ですよね」と医療関係者の方に相談したことがあります。そうしたら「それを最初にするアスリートが、璃花子さんなんですよ」って言われて。その言葉を聞いたとき、私はもう泣くことしかできませんでした。