教室に通う保護者の方に「人は何歳からでも変わることができます」ということをいつもお話ししているのですが、それはまさに私のことなのです。母親となったことで幼児教育について学び、期せずして教室を開くこととなり、結果、天職に出合うことができた。
本来、人に何かを教えられるような器でもない私ですが、尊敬する恩師の「嘘も100遍言えば本当になる」という言葉を信じ、「そうなりたい」と思って努力をし、先生役を、母親役を懸命に演じてきたつもりです。
私を変えてくれた3人の子どもたちに対しては、自分が子どものころに十分与えられなかった親からの温かな励まし、教育の機会、スポーツで才能を伸ばす舞台……をそれぞれに用意してあげようと頑張ってきました。
長女は医療分野に興味を持ち、国家資格を取って看護師の道に進みました。自分の望む仕事に就き、璃花子の病気の際にも支えになってくれたことに感謝しています。長男は大学までスポーツに取り組み、国体で優勝するなど活躍。いまは会社員となった姿に一安心していますし、璃花子は私が憧れたアスリートの道を、一歩ずつ進んでいる。
私は有名な大学を出たり、結婚前の職場でやりがいを持って働いたりしたことがなかったので、自分が叶えられなかった夢を子どもたちが実現していることに、やはり喜びを感じます。
璃花子も23年の春には大学を卒業しますので、親としての責任も一段落。ようやく私も《卒母》した後の自分の人生を考えるようになりました。いま一番やりたいのは、教室だけでなく、講演会やセミナーを通じて私の教育メソッドや経験を広くお伝えしていきたいということ。『婦人公論』の読者の皆さんに向けて、お孫さんの育て方についてもお話ししてみたいです。
教育の最終的な成果は、月日が経たないとわからない。だからこのやり方がいいと信じてやってきただけなのですが、27年歩いてきた道は正しかった。いまようやく、自分の人生に豊かさを感じているところです。