2021年夏の東京五輪、野球日本代表が挑んだ最大の関門「準決勝」韓国戦は8月4日に開催された。写真は会場となった横浜スタジアム(写真提供:PhotoAC)
2021年に開催された東京オリンピックで、野球日本代表が37年ぶりに金メダルを獲得しました。その代表チームを率いたのが稲葉篤紀監督です。現役としては95年にヤクルトスワローズへ入団。05年に日本ハムファイターズへ移籍、14年に引退するまでに首位打者、最多安打のタイトルを獲得。ベストナイン、ゴールデングラブ賞にはそれぞれ5回選出された名選手です。17年に日本代表監督に就任してからの4年間で、稲葉さんはどのようにチームを強化してきたのでしょうか。準決勝「韓国戦」を検証しながら、その歩みを振り返ります。

金メダルへの最大関門「準決勝」

野球が五輪の正式種目になったのは1992年のバルセロナ大会です。

バルセロナは銅、96年のアトランタ大会は銀、プロが参加し始めた2000年のシドニー大会は4位、初めてオールプロで臨んだ04年のアテネ大会は銅、そして08年の北京大会は4位。つまり準決勝を勝ち上がったのは96年のアトランタだけ、ということになります。

日本にとって、金メダルへの最大関門が準決勝でした。相手はどんな大会でも必ず接戦になる、長年のライバルである韓国。1点の重みが、より増すことは誰もが分かっていたと思います。

横浜スタジアムにて8月4日に開催された準決勝。

三回は下位打線から作った好機で、山田(哲人)にも難しい局面の中でバントをしてもらいました。坂本(勇人)も犠牲フライを打って何とかチームのために、というバッティングをしてくれました。

八回も、山田の勝ち越し二塁打の前に甲斐(拓也)が粘って四球を選んだのも大きかったです。皆がベンチの作戦を理解し、自己犠牲というか、次につなげようという気持ちを持って取り組んでくれたのが、良い結果につながったと思います。

山田は「あそこはバントもあるだろうな」と予想をしていたそうです。選手が本当に自主的に、点を取るために自分は何をしなければいけないかというのを理解してくれています。こちらの意図と選手の思いというのが今、一つになってきているので、私としてもサインを出しやすいです。