19年末に退院した璃花子は、翌年3月から再起をかけて練習を再開。東京オリンピックの開催が21年に延期になったことでリレー3種目に出場でき、女子4×100メートルメドレーリレーでは決勝進出も果たしました。

苦しい日々でしたが、全国の皆さんが応援し、励ましてくださったのですから幸せな患者です。千羽鶴だけでも全部で150束、計15万羽も集まり、地元の区役所のご厚意で、少し前までスポーツセンターにコーナーを設けて飾っていただきました。

 

来春には《卒母》の予定

私が幼児教育に強い興味を抱いたのは、もしかすると自分の育った環境が恵まれたものではなかったからかもしれません。璃花子と同じく私も小さいころに水泳を習い、大会にも出ていました。ただ親の熱心なサポートもなく、早いうちに水泳はやめてしまいました。

高校時代は陸上競技に取り組み、短距離選手として400メートルを専門にしていました。

才能のある一部の選手にはスポンサーがついて、特別な指導や支援を受けているのが猛烈に羨ましかったですね。自分なりに努力しようと、帰宅後も自宅で猛練習を続けて。高校2年のときに県大会で優勝したのですが、自己流の練習がたたって致命的なケガをしてしまい、手術はしたものの結局選手に戻ることはできませんでした。

就職活動では一般企業の入社試験にことごとく落ち、公務員となってからも希望していたスポーツに関わる部署で働くことは叶わず。20代までの私の心には、いつも「私にはなにかもっとできることがあるはず」という思いが渦巻いていたような気がします。結婚によって専業主婦となり、自由を得たような気持ちになったのも一瞬のことでした。