上沼 お姉ちゃんが6年間使ってた革のランドセルはさすがにボロボロやから、「買うたるわ」ってお母ちゃんが言うて。なんか小ぶりで色も悪いなと思いつつも、嬉しかったんよ。でも雨が降ったら、ランドセルが溶けてしまって。まわりにいた子も驚いてたわ。家に帰ってお母ちゃんに泣いて「溶けた」って言うたら、「紙はあかんか」て。
芦川 よう、そんなの持たせたわ。
上沼 その後、父の念願やった姉妹漫才コンビ、海原千里・万里を無理やり組まされたわけや。あの時代、女の子がお笑いなんて、ものすごく恥ずかしかったよね。
芦川 「人に笑われるようなこと、ようさせるわ」って、近所の人たちにも言われてた。
上沼 私たちが住んでいたのは、淡路島の田舎町だったからね。3年間だけお父ちゃんの夢を叶えてあげようって。そしたら、売れてしまった。
芦川 結局、私たちは負けず嫌いやったんよ。
上沼 ほんまにそのとおり。
芦川 コンビを組んで、初めて出たNHKの「上方漫才コンテスト」に落ちた時も――。
上沼 あった、あった!
芦川 悔しくて、来年は絶対に賞を取ろうって2人で誓ったよね。
上沼 淀屋橋の駅のところで、私が悔し涙を流したのをお姉ちゃんが慰めてくれて。翌年には賞を勝ち取ったからね。負けん気ほどエネルギーになるものはないと思うわ。お母ちゃんも気が強かったから、似てるね。
芦川 そうやね。お父ちゃんは、おっちょこちょいやったけど。