そこからの若月さんの行動は迅速だった。同僚に頭を下げて有給休暇を取り、勤務先に迷惑をかけないよう2週間先の仕事までしっかり片付ける。そうして、娘のもとに駆けつけたのだった。それをきっかけに、若月さんは娘との距離を縮めはじめる。

「年に1度、娘夫婦と孫2人、全員分の誕生日プレゼントという名目で、東京ディズニーランドへ招待しています。ディズニーランドの近くにあるホテルを予約して、娘家族と一緒に泊まるのが年中行事です」

そんな若月さんの思いに応えるかのように、娘夫婦が姫路市内に建てた一戸建てには、「『いつでも来て、ここに住んでね』と和室を用意してくれたんです」と、微笑む若月さん。

子育てにお金がかかる若夫婦を気遣い、春とお盆、そして年末年始と、最低年3回は姫路の家を訪れていると言う。なんとも仲の良い母娘のように思えるが、最近の若月さんの懸案事項が、冒頭の言葉のとおり、「ばぁばの部屋」が少しずつなくなっていることなのだ。

「今年3月に定年を迎え、65歳までは今の職場に再雇用で勤めるつもり。その後、たとえば娘がフルタイムで働きたいなら同居して、学校から帰った孫たちに『おかえりなさい』を言えるばぁばになりたいと思っているんだけど……」

とはいえ孫たちが成長し、手がかからなくなれば、手伝えることもなくなる。逆に、自分が世話をしてもらわなくてはいけないかもしれない。

「自分が東京にいたほうが、遊びに来るとき便利だと娘は思っているんじゃなかろうか?なんて勘ぐってしまう機会が増えました」

結婚して自立し、手が離れたと喜ぶ気持ちがないわけではないが、やはり寂しさが拭い切れない若月さん。それが親心なのだろうか。

 

「私より、仕事だった」と泣き出した娘

「私には、娘が将来のことをどう考えているのか、まったく想像ができないのです」

と言う吉川雅代さん(67歳)は、派遣社員として働く独身の娘・由美さん(41歳)とさいたま市内で暮らす。吉川さん自身は中学校の教師として定年まで勤め上げ、再任用で65歳まで働き、2年前に退職した。

「夫は、娘が小学校に上がる頃に病気で亡くなりました。周囲に頼れる親族もいなかったので、娘には寂しい思いをさせたかもしれません」

女手ひとつで子育てするには、吉川さんが稼ぐしかない。娘には、学童保育や塾で放課後を過ごさせた。部活の顧問を引き受けると、練習試合などで土日は留守ばかり。娘の話をろくに聞くこともできず、心苦しかったと言う。

「でも娘は、当時飼っていた柴犬を抱いて『1人じゃないから大丈夫』と、笑顔で送り出してくれました」

インコやハムスターなどの動物が大好きな心優しい子だったと、吉川さんは幼い頃の娘の様子を振り返る。

「反抗期もなく、親に心配をかけることはまったくありませんでした」