思い出深い海外公演
―― 晴れてタカラジェンヌとなり、「達つかさ」という芸名で舞台に立つ日々が始まる。来る日も来る日もレッスンに明け暮れ、初日に向かってひたすら前に進むしかない毎日をどう過ごしたのだろう。
入団してからは、姉とすみれ寮(宝塚歌劇団の寮)の同じ部屋で生活していました。姉とはけんかもするけれど、やはり仲がいいですね。現役時代もくじけそうになることも姉の存在があったことで乗り越えられました。父が都内で営んでいた寿司店の屋号を、私たちの芸名にしたのですから、家族愛は強いかも。
話すことは舞台のことばかりです(笑)。姉も私も舞台のことしか考えていなかったので、たまの休みに実家に行くことになっても、実家の近くでレッスンを受けられるように段取りをしたり、舞台を観たりと、10年間、まさに宝塚一色の時間を過ごしました。
思い出に残っているのは、海外公演です。メンバーに入ることができ、とてもいい経験をさせていただきました。特にベルリン公演では、ヨーロッパの方々に宝塚歌劇が受け入れてもらえるのかしらと不安だったのですが、「明日へのエナジー」を踊っているときに、客席からの興奮や熱気が伝わってきて、私たちのエネルギーとの相互作用で場内にすごい空気が流れていたのを感じました。ベルリンの観客に、私たちの存在が受け入れられたという実感があったんです。最後の緞帳が下りてから、しばらくみんなで抱き合って興奮を分かち合ったことが忘れられません。
―――それでも達さんは、姉よりも先に退団を決意することに。入団から10年、宝塚音楽学校に入学してから12年が経っていた。
タカラジェンヌとして10年近く過ごしている中で、もうやりきった、という満足感が私の中にどんどん大きくなっていったんです。私は正塚晴彦先生の演出が好きだったのですが、あと1回、正塚先生の舞台に出られたらそれで卒業でもいいかなと思っていたら、ちょうど正塚先生演出の作品『琥珀色の雨にぬれて』の公演が。そこで燃焼し尽くし、いいタイミングだと感じて退団しました。