お二人の関係は《理想の結婚像》

もう一つ、郁恵さんには、家族葬というスタイルを選んだものの、夫の徹さんについて、あらゆるジャンルの皆さんが追悼コメントを寄せている現実を前に、これはキチンと自分の言葉で説明をしなければと思われたのでしょう。記者やリポーターさんによる立て続けの質問に対し、詳細に話された郁恵さんのコメントは、まるで《喪主の挨拶》のようでもありました。

徹さんと郁恵さんのことを「本当に仲のいい夫婦」と評する御友人や知人の方は多いのですが、お二人は決してベッタリした関係ではなかったのだと私には思えました。

「経済的にも精神的にも自立している大人の二人が寄り添って歩いていくこと」を《理想の結婚像》としてエッセイに記していらしたのは脚本家の内館牧子さんです。

内館さんによれば、どなたかの講演会をお聞きになったときに「なるほど」と心から納得されたそうなので、オリジナルではないのだとか。でも、内館さんがそう思われたように、内館さんのエッセイを読んだ私も、何度、膝を打ったかわからないほど納得し、感心させられたものです。

徹さんと郁恵さんはまさに、そんな御夫婦だったと思うのです。会見の中で、私がもっとも印象に残っている郁恵さんの言葉は、「先生が御丁寧に病気のことを説明してくださるんですけど、私たちはやっぱりそんな実感がないというか…、なので先生が一生懸命、私たちの表情を見ながら、御説明してくださるんですけれども、まぁ、あの人のことですから、不死鳥のような人ですから、『はい、そうですか?』っていう感じで聞き流すような形でここまで来ました」という箇所。そして、「(徹さんが)ちょっと、ふらついていたので、『入院だな』と思った」、そして、クルマで病院に送り届けた際、「私が間違えて、救急車が入るところに止めてしまって、『降りて、お父さん。歩いて行って』と、いつも通り、雑な扱いでした」突き放すようなところがあった」という箇所です。

徹さんは30代から糖尿病を患い、その後も大きな御病気や手術を何度も経験し、人工透析を週に3回も受けていらしたといいます。郁恵さんは「希望」という言葉も口にしていらっしゃいましたが、御本人以上の覚悟がどこかにあったのかもしれないと思いました。

(写真提供:Photo AC)