毎日が試験と言っても過言ではない日々
宝塚音楽学校に入学できた、ということで夢が叶ってしまったくれさん。音楽学校生活は厳しいものではあったが、その厳しささえもうれしかったという。
厳しい生活が待っているだろうということが前提で入っていますから、厳しければ厳しいだけ「ああ、これが宝塚なんだわ」と実感できました。
私、同期の中で一番背が高かったんです。初舞台のラインダンスで、その年は背が高い人が真ん中にくる演出。それで私がセンターになったんです。
つい数年前に体がガチガチに硬かった私が、数年後に憧れの舞台のセンターですよ! 緊張と喜びが最高潮の初舞台でした。
夢の舞台に立てたくれさんだが、その分、多くの挫折も味わった。宝塚歌劇団では、お芝居・歌・ダンス・日舞に加え普段の公演の姿も加味されて、シビアに成績が発表される。つまり毎日が試験と言っても過言ではない日々が続くのである。
入団5年目の時、成績が落ちたんです。毎日、こんなにがんばってたつもりなのに、私ってこの程度なのかとショックを受けました。成績が落ちると公演での出番も少なくなりました。私はどういう男役としての方向に進めばいいんだろうと悩みました。
けれども、大好きで入った宝塚です。決して周囲には愚痴をこぼさず必死に前へ進みました。そうしていたら、また、ところどころセリフをいただけるようになったんです。本当に一言なんですけど、それでもとてもうれしくて…。私にセリフをつけてくれたその先生は、音楽学校の卒業試験で、演劇の試験を見てくださっていたそうです。
私は当時のことをすっかり忘れていたのですが、劇団のお稽古場で一言セリフをダメ出ししてくださった時に、「潮さん、僕は卒業試験のとき、あなたに最高点をつけたんだよ。あなたどうしたの?芝居、もっとできるはずだよ!」と檄を飛ばしてくださいました…。 それで私は、自分はお芝居が好きなんだ、ということに気づきました。演じることが好きだったんですね。
その後も、出たい公演に出られるとうれしくなったり、体力的に思うように動けないことで悲しくなったり、と好調とスランプと繰り返しました。そんな中で私をいつも応援してくれる人たちがいたり、しっかり私のいいところを見てくださった方がいたのは、とてもありがたかった。周りで支えてくれた方々には感謝しかありません。