(イラスト:みずうちさとみ)

「認知症は、脳の病気や障害など様々な原因により、認知機能が低下し、日常生活全般に支障が出てくる状態」で「話が通じなくなる、妄想があるなどのサインが出てきたときには、専門機関に相談」と厚生労働省の 「知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス」(http://www.mhlw.go.jp/kokoro/)には書かれています。病気とわかっていても、近くで接する家族のストレスは大きいものでしょう。最後の時間をともに過ごすからこそ見えてくる、家族の素顔や心の底からの思い――。必ずしも失うものばかりではないようです。奥村智恵子さん(仮名・兵庫県・会社員・55歳)が両親を見送って、今思うことは。

施設からの帰り際、父が告げた思い

10年前のある日、近くに住む70代の父から、母が股関節の骨折で入院したと連絡があった。退院まで3ヵ月かかるという。さらに一報を受けてまもなく、父も心不全で1ヵ月ほど入院することに。

先に退院した父は家事をこなしながら、母の見舞いに通う日々。その後、元の生活に戻った二人だが、親の老後が私の肩に重くのしかかる予感がした。

それが現実になったのは3年後だ。母が再び骨折して入院したのと同時に、父の心不全が悪化。母の退院後は二人で家に引きこもるようになったので、訪問看護とデイサービスを利用してもらうことにした。

安心して生活できる態勢が整ったと思ったのも束の間、今度は父が誤嚥性肺炎に。母も続くように肋骨と手首を骨折したり持病の脊柱管狭窄症が悪化したりして、二人は入退院をくり返した。

その頃から、父は薬の飲み忘れが増え、服の着方がわからなくなることがたびたびあった。病院で検査をすると、認知症との診断。すぐに要介護認定の申請を行い、母の入院中は私の家で生活してもらうことにした。

父の症状は思った以上に進行していたようだ。服を乾かそうとストーブの上に置いたり、排泄に失敗して汚れた下着がゴミ箱から見つかったり。不安になると、私が仕事中でも電話をかけてくる。私の心と体は悲鳴を上げ始めた。

母が転倒して動けなくなったとき、父と二人、私に心配かけまいと廊下で一夜を明かしていたことを思い出した。自宅での老夫婦の暮らしは、限界を迎えていたのだ。

施設へ入れることへの罪悪感を振り払い両親に相談すると、すんなり了解してくれた。これ以上、娘に負担をかけたくないと思ったのだろう。