看護師の戸惑いの表情に

「グレープフルーツほどの大きさだった筋腫がなくなって気分はすっきり。『これで妊娠できる』と思いました。だから、退院するときにナースステーションで意気揚々と、『今度は妊婦になって、またお世話になります』とあいさつしたんです」

すると、看護師たちの表情に、にわかに戸惑いの色が浮かんだ。それを見て「えっ、どうして?」と思ったと語る和代さんは、40代に入ると妊娠しづらいことを、そのときは知らなかった。

看護師たちの表情が気になり、調べてみてわかったのは、不妊治療を再開しても妊娠できる望みは小さいこと。現実と自分の期待の落差に愕然とし、和代さんはその後、不妊治療に戻ることはなかった。

ちょうどそのころ、彼女は人生の転機を迎えてもいた。父親が倒れて、介護が始まったのだ。介護と仕事、そして不妊治療を両立させることは難しい。自分以外の誰かのために時間を費やす時期が訪れたのだ。そのことを和代さんは「束縛されて苦しい」と感じるより、人生に欠けていたことが始まったような気がしたという。

「私は会社の代表として必死に走ってきましたが、その一方で以前から、家族の世話をすることも、人としての大切な役割だと思っていました。ただ、それまでは仕事の責任が重くてできなかっただけなんです」

誰かのために何かをする。その対象は人によって、人生の季節によって違うのかもしれない。ある人にとっては子どもだが、またある人にとっては親やきょうだい、あるいはほかの誰かということもあるだろう。

最近になって、和代さんは犬を飼い始めた。仕事から帰ってきた夫が犬と楽しそうに遊んでいるのを見ると、とても幸せな気持ちになるという。


ルポ・不妊治療を経て「子のない人生」を受け入れる
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