2019年にデビュー50周年を迎えた由紀さおりさん(撮影:藤澤靖子)
童謡からジャズまで幅広いジャンルの楽曲を歌い、国内外を問わず高い評価を受けている由紀さおりさん。「結局のところ私は歌を選んできた」と語る由紀さんは、どのように運命を受け入れてきたのでしょうか。デビュー50周年に当たる2019年、1月にインタビューした記事を再掲します。(撮影=藤澤靖子 構成=丸山あかね)

37歳で子宮筋腫を患って

2019年はデビュー50周年にあたります。幼い頃から童謡歌手として活動していた私が「夜明けのスキャット」で再デビューしたのは1969年、20歳の時。あの頃はピチピチだったわ。(笑)

おかげさまで幸先の良いスタートを切ることができまして、その後も「手紙」や「恋文」など数々のヒット曲に恵まれました。レコード大賞最優秀歌唱賞をいただいたり、2012年に紫綬褒章を頂戴したときも素直に嬉しかった。歌い続けてきてよかった、これからも頑張ろうと心から思いました。

でも不思議なもので、改めて50年の歩みを振り返るときに胸の内に去来するのは、ここに至るまでに乗り越えてきた試練の数々のほうなのです。

中でも37歳で子宮筋腫を患ってからの5年間のことは忘れられません。子宮内膜症を併発してしまい、1ヵ月のうち2週間は激痛に見舞われるという苦しみを味わいました。症状を軽減するために、お医者様からホルモン治療を勧められました。でも副作用で声が変わってしまうことから拒み続けていたのです。

仕事に支障をきたすのが嫌で人知れず我慢していたのですが、ある日、七転八倒しているところを母に見られてしまい……。心配はかけられないと、41歳のときに子宮全摘手術を受けました。当時は、子宮という器官は女性として生きるうえで特別な意味を持つと捉えていたので、ショックでしたね。ただ、悩んだ5年間は無駄ではなかったと思っています。悩み抜いた後の決断だったからこそ、術後は前を向いて歩みだすことができたのです。

歌うことと引き換えに手放してきた女性としての幸せもあります。過去に私を愛して結婚してくださった方が2人いました。一人は歌い手としての道筋をつけてくれた10歳年上の音楽業界の方。「夜明けのスキャット」を発表する少し前に結婚し、14年後に離婚しました。

もう一人は私が52歳のときに再婚した、アメリカ在住の日本人男性です。子宮を摘出した後に出会い、女としての自信を取り戻すことができた素晴らしいご縁でしたが、6年後にお別れすることになってしまいました。