「いっそ、死んでくれればいいのに」

離婚も考えたが、子ども2人を抱えてやっていく自信はない。幸子さんは大学に行きたくても行けなかったため、「子どもをきちんと大学に通わせるには離婚できない」と耐えた。そして、特に娘には「専業主婦になると我慢して生きなければならなくなる。あなたは頭がいいのだから、手に職をつけてがんばりなさい」と教育した。

ところが娘は中学、高校の頃に激しい反抗期を迎え、家出をすることもあった。相談すると、夫は「お前の教育が悪い」と責める。ノイローゼになりそうになっても、知らんぷり。夫は妻に対してだけでなく、子どもにも興味がないのだ。そう確信すると、幸子さんは「いっそ、死んでくれればいいのに」と強く願うようになった。

「家のローンは団体信用生命保険で相殺されて借金がなくなる。夫が死ねば保険金が入るし、遺族年金だってもらえる。子どもたちの学費はそれでなんとかなる……」

しかし、思うようにはいかない。夫は風邪すらほとんどひかない。子どもたちが無事に大学に入学した頃には、夫の死を願うのもむなしくなってきた。

だから「もう、夫のことは他人だと思うようにしよう。最初から期待しなければいい」と諦めた。すると、憎かった夫が「ただの物体」にしか見えなくなってくる。「定年退職したら、粗大ゴミに出そう」と思えば気にさわらない。

子どもたちが就職したのを機に、ダンス教室に通うようになり、友達もでき家庭の外での楽しみができる、はずだった。

一方の夫は、定年退職したものの友達がいない。急に暇すぎる生活に変わってしまい、完全に「ぬれ落ち葉」に転じた。買い物に行くのにもついてくるし、冒頭のように、ご飯を作っておかなければ外出もままならない。数年前、夫は幸子さんが通うダンス教室に入会までした。「せっかく夫との距離ができたのに」と、邪魔な存在になっていく。