あの時のことは一生忘れない

幸子さんが子育て真っ最中の1980年代の後半は、あるCMが流行していた。

「タンスにゴン、タンスにゴン。亭主元気で留守がいい」

KINCHO(大日本除虫菊)の衣類防虫用品「タンスにゴン」のCMは、当時の一般的なサラリーマンと専業主婦の世帯をモデルに、中年の妻たちが町内会で「亭主元気で留守がいい」と口を揃える。しかし幸子さんは夫がいないことで、心が穏やかでいられたことはない。

夫は子育てなんてしなかった。休日に親子揃って出かけた記憶もない。まだ子どもが幼稚園の頃、幸子さんが40度もの高熱を出した時のことは、一生忘れない。

熱で朦朧として、元気いっぱいの子どもの世話をするなんてとうていできない状態だった。瀕死の状態で「早く帰ってきて」と頼んでも、「馬鹿言え、俺は忙しいんだ」と怒鳴り、深夜に酔っ払って帰ってきて「お茶くれ、お茶! おーい」と叫んでいた。ペットボトル飲料に罪はないが、「お~いお茶」のパッケージを見ると「今でも思い出してイヤになる」というくらい恨めしい。

しばらく後、夫の手帳に女性の名前と誕生日が記されているのを見つけ、浮気を確信した。幸子さんには誕生日も結婚記念日も、プレゼントひとつない。「私は家政婦ではない」と、悔しくて何度も泣いた。わずかに残っていた愛情や信頼は完全に消え失せた。