夫が火葬を意外だと感じた理由

カトリックでは死者は最後の審判で復活するため、魂の入れ物である肉体が消滅してはならない。夫は信心深いわけではないし最後の審判や復活を信じているわけでもないが、日本ではカトリック信者にも火葬が義務付けられていることが意外だったようだ。

イタリアでは本来、生前に本人による意思表明を具体的なかたちで残しておかなければ、行政は火葬の許可を出さない。近年のイタリアでは、墓地が不足しているうえ、葬儀の簡素化を求めて生前から火葬を望む人々が徐々に増えていたし、コロナ禍を受けて生前に希望していなくても火葬が実施可能となったが、一般の人々にとってはいまだに土葬が埋葬の基本である。

夫にしてみれば、彼が3歳のときから懇意にしていたリョウコは日本人でありながら敬虔なクリスチャンであり、イタリアの彼の家に滞在していたときも、日曜には一家の老人たちと一緒に礼拝に出かけていた彼女の姿をよく覚えているという。そんなリョウコがまさか荼毘に付されることになるとは、北海道に着くまで考えてもみなかったらしい。

とはいえ、大航海時代に宣教師や修道士たちが広め、今や全世界に13億人の信者を抱えるほどの大宗教である。それぞれの土地に以前から浸透していた宗教や慣わしによって儀式などの様式が変化するのは当然のことだろう。