丁寧な会話を通じ、開かれた関係を築く姿勢で

雅子さまの皇太子妃時代の行啓(ぎょうけい)、皇后になられてからの行幸啓(ぎょうこうけい)を見ていると独自のスタイルが垣間見える。

1995年に起きた阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災などの被災地では、あらかじめ選抜された何人かの人たちだけでなく、多くの人にも声を掛けられていた。そのためには、皇太子殿下(当時)とお二人で並んで声を掛けるよりも、この方が合理的とばかりに二手に分かれる方法を取られた時には、新鮮なものを感じた。

東日本大震災の慰問の時には、後ろから両陛下のお姿を見届けていた被災者に振り返られて、カツカツと大股で歩いて戻って声を掛けられたこともあった。その姿は、皇室入りする前の外務省に勤務していた頃を彷彿とさせるものだった。

実際に雅子さまの笑顔に接した人たちは「(当時)批判されていたような雅子さまの悪いイメージとはちがって、とても自然でよく話を聞いてくださいました。言葉を流さないのが印象的で、ご性格が表れているように感じました」と口を揃えていた。

雅子さまの「自然で話を流さない」というエピソードは、皇后になってからも変わることはなかった。

昨年6月21日、上皇上皇后両陛下から子どもの日にちなんで受け継がれた港区立麻布保育園をご訪問された時には、子どもたちと買い物ごっこをされるなど微笑ましい時間を過ごされた。

雅子さまは買い物を終えられると、陛下と顔を見合わせられて「たくさん買っちゃった!」と嬉しそうな表情を浮かべられていた。園児たちの緊張がほぐれた様子だった。

園児が折り紙で作ったという「お花」をもらって、両手でくるみながらお礼を言われていたという。

「最初に、麻布保育園は六本木という都会にありながらも、広い園庭があることが特徴の一つだというお話をさせていただいたんですが、帰り際、御料車がぐるっと回って園庭の前で停止したんです。すると、雅子さまがこちらに向かって〈ここですね?〉というように園庭を指されるようなしぐさをなさったのです。話を覚えて下さっていて、確認していただけたと思うと、とても嬉しかったです。こちらの話を一つ一つ聞いてくださっていたことがよく分かりました」(今村和子園長)

ご静養先に向かう駅でも集まった人たちと会話をされて、時には、予定時間をオーバーなさることもある。ここでも、偶然の会話から人々と開かれた関係を持ちたいと願われていることが感じられた。