コゼット・アルクールと改名

しかし迫害の理由はいつも曖昧で根拠がない。コゼットがユダヤ教徒であったかの記述も、どこにも見つけられない。しかし、第一次世界大戦開戦の1914年ごろ一家はイギリスに移住。大陸にいることは危険だと思ったようだ。ジェルメーヌは1923年に一度フランスに戻ったが、再度渡英。なんと別の名前を持つカメラマンとして、バリに戻った。

『コゼット・アルクール』という名前のイギリス国籍の女性の消息がつかめるのは、1932年にイギリスからフランスに入国したN031650のパスポートの記録によってである。この時の彼女はイギリス国籍であり、名前も正式にコゼット・アルクールと改名していた。

©️Studio Harcourt Paris

ちなみに「コゼット」の名はビクトール・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の中の極貧の少女を連想させる。「アルクール」はノルマンディーの、千年以上続く、由緒正しい貴族の苗字。この二つの組み合わせには、一種の諧謔味を感じる。普通の家庭で生まれながら、遂に「上流社会」に出入りするようになった彼女の、野望を含めたユーモアが含まれているのではないか。

ちなみに「Harcourt」家は、1066年にフランスがイギリスを征服したときに、一族が枝分かれしてイギリスに渡ったのだという。そんなこともあり、イギリス国籍でもHarcourtを名乗るのは自然だと考えたかもしれない。