「自分のスタジオを持ちたい」

生まれがどうあれ、彼女は貴族的な雰囲気を持つ、大変魅力的な女性だったようだ。イギリス訛りのフランス語を話し、様々なスポーツを楽しみ、スポーツカーを自ら乗り回し、ファッションセンスも抜群だったようだ。パリに現れて1年ほどで、彼女の運命を変える富裕な男性を引き付けたのは自然なことだったのだろう。

しかし、残念なことにそんな彼女の当時の写真はほとんど残っていない。写真を生業としていたにもかかわらず、である。

ユダヤ人としての出生を隠さねばならなかったゆえ、コゼットは『故意に』自分の生きた証を抹消していったのではないか。その代償として、「写真」という、人の姿を永遠に刻む芸術に没頭したとしたら皮肉だ。しかし、納得できる。

ロンドンからパリにもどったコゼットは、1932年ごろから、写真の創世記に写真家として著名だったHenri Manuel (1874~1947)が息子らと作った、パリの有名写真スタジオ「Studio G.L.Manuel fréres」で働いた。社交界のルポルタージュに、当時流行のナイトクラブの客や風景を撮影していたが、彼女にとってはオリジナリティーの無い、やりがいの無いものだったようだ。

それよりもスタジオ運営やセールスに強い関心を持ち、富裕層相手にポートレイトを撮影する仕事で頭角を現す、この時すでに彼女の心の中には、「自分のスタジオを持ちたい」という野望があったろう。

©️Studio Harcourt Paris

富裕層を相手にしたり、ルポルタージュをしたことは、彼女にとって幸運だったに違いない。遂に彼女は運命の相手となるジャック・ラクロワと出会う。