ジャック・ラクロワ
ジャック・ラクロワは、弟のジャンと共に新聞社のパトロンをする富裕層。コゼットより12歳年上だった。1928年に創刊した「Guérir」という雑誌を成功させたこの資本家は、コゼットに出会い、その才能と魅力にひかれると、「彼女に何かしてやりたい」と思ったに違いない。
おそらくは互いを知り合うために話し合ううち、「これからは写真が、肖像画にとって代わる」「映画のライティングを使ったポートレイトのスタジオを作りたい」というビジョンをコゼットから聞き、勝算を感じたのだろう。3歳年下の弟のジャン(1901年生まれ)と、更に若い友人のロベール・リッチ(1905年生まれ)を巻き込んで、彼女のためにその名を冠した写真スタジオ、「Studio Harcourt」を1934年に設立するのだ。
当時は、富裕な男性がお気に入りの女優の為に劇場を買ってプレゼントするようなことが流行していた。コゼットは女優でなく写真家なので、スタジオをプレゼントというのは道理である。それにしても、羨ましいことこの上ない話だ。コゼットは既にマニュエル兄弟のスタジオを去っていた。そして遂に、自分のイメージのままのスタジオの経営に乗り出すのである。
コゼットは、そのスタジオを運営し、彼らが思った以上のものに育てていく。当時、人々の憧れの的だった銀幕スター、ブリジット・バルドーやジャンヌ・モロー、マレーネ・ディートリッヒ、アラン・ドロン、ジャン=ポール・ベルモンドなどの大物俳優たちを撮影。その写真が素晴らしいと評判になり、瞬く間にStudio Harcourt Paris は、世界的なスタジオへと成長していくのである。
男の手のひらからはみ出して成長していくところもココ・シャネルに重なる。しかも、そんな「暴れ馬」のコゼットを、ジャックは生涯かけて愛し続けるのである。コゼットの更なる成功と、ドラマティックな愛の物語は次回をお楽しみに。