信田 実は、家族の定義って存在しないんですってね。肉親じゃないといけないわけでもない。それこそ愛犬を「家族だ」と言えば家族になる。つまり、寝食を共にする、自分にとって心地よいコミュニティ、最小の親密圏を家族だとすればいいのでは。

川上 そうですね。

信田 あるドキュメンタリー番組で、古いアパートに暮らす人々を追ったものを観ました。住人はほぼ高齢男性で、朝になると共同スペースに集まって、食事をしたり、雑談をしたり。顔を出さないと、「具合でも悪いのか」と誰かが見に行ったりもしてね。

それぞれが個として暮らしながら、互いに気にかけ、憩える場所もある。それも一つの家族だ、《家》のあり方だと思いました。北欧なんかそうじゃないですか。

川上 以前、スウェーデン大使が、日本では子どもが親の面倒をみるために同居するのを「なぜ?」と不思議がっていました。スウェーデンでは親と子は個人として切り離されていて、子どもが親の面倒をみるという概念がないそうです。手とり足とり支えることが愛じゃない。

信田 その通りですよ。

川上 私は母のことが大好きで、何でもしてあげたいと思っているので耳が痛いのですが……。一方で、母との関係で悩んでいる女性たちは、「あのとき、つらかった」と伝えて、謝罪の言葉を引き出したいのですよね。

信田 「お母さん、あなたは私にこういうことをしてきましたね。本当にそれが苦しかったんです」と、思い切って突きつけなければ整理がつかない。ほとんどの場合、期待した答えは返ってきませんがね。

川上 「あなたのためを思って、私も一所懸命にやってきたのに」と。

信田 そう。でも、届かなくても言ったほうがいい。叶わない「祈り」みたいなものだと私は思っています。

川上 祈りには、それだけで意味がありますからね。

『黄色い家』定価2090円(税込) 中央公論新社刊
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2020年春、伊藤花はニュース記事に吉川黄美子の名前を見つけ、20年前のあの日々を思い出す。中学生だった花は、スナックで働く母親と古く小さな文化住宅で暮らしていた。15歳の夏、母の友人である黄美子と出会う。高校卒業を前に、貯めたバイト代を母の元恋人に盗られた花は家を飛び出し、「黄色い家」で黄美子、加藤蘭、玉森桃子と暮らしはじめた。少女たちは生きるため、いつしか犯罪に手を染めていくが、歪んだ共同生活はある事件をきっかけに瓦解へ向かい……