夫婦は別人格。一心同体に非ず
1973年、二人は森繁久彌さんの仲人で結婚式を挙げ、田辺さんの実家から新婚生活がスタートした。
九重 おとうさん(森繁久彌さん)からのはなむけの言葉は「夫婦は別人格。一心同体に非ず」。「夫婦でもリズムが違うのはあたりまえ。お互いの世界を尊重しあいながら生活すればうまくいくよ」と言われました。
田辺 僕はもともと世話を焼かれるのも苦手。三つ指ついておかえりなさいと言われても困る。おとうさんの言葉は無理せず、ずっと実践できました。だからうちは寝室もずっと別々。
九重 田辺さんは昔から料理が得意だったんです。その時できるほうがすればいいですよね。同居した義母も当時のキャリアウーマンで、「女だって働くことは大事」という人だったから、とても助かりました。
1978年、ちょうど森繁久彌さんの『屋根の上のバイオリン弾き』の舞台の仕事が入ったころに妊娠発覚。以前に流産というつらい体験をしていた佑三子さんは、育児に専念することを決め、長男の晋太郎さんが生まれた。
九重 最初の妊娠のときは、私が気が付かずに仕事をしていたためにかわいそうなことをしていまいました。処置した病院でお義母さまがずっと手を握っていてくれて、田辺さんが仕事先から駆けつけてきてくれたときは、もう号泣でした。「ごめんなさい」って謝るばかりで…。だから二度とそんな思いはしたくなくて、仕事をお休みすることはなんでもなかった。
それに、私は子どもが大好きなんです。ドラマの『コメットさん』に出ているときも、出演者の子どもたちの面倒を見るのがとっても楽しみだった。だからしっかり育児しましたよ。だってかわいくて、この瞬間は二度とないから。学ぶこともたくさんありましたしね。でも、息子が10歳になったころ、田辺さんに「少しずつでいいから仕事したら?」って言われたんです。
田辺 この人はあまりにも一生懸命子育てに集中するから、息子もうっとうしくなっちゃう。子どもはいずれ巣立ちますから、その時の彼女の喪失感を考えるとね。