祖母がわたしを育てた

生れた直後、乳母を雇い、その乳母が私を守した。この女は隣村の越知(おち)村からきた。その乳母の背に負さって乳母の家に行ったことがあった。

その時乳母の家の藁葺家根が見えた時のことをおぼろげに記憶している。これが私の記憶している第一のものである。その後乳母に暇をやり、祖母が専ら私を育てたのである。

『好きを生きる―天真らんまんに壁を乗り越えて』(著:牧野富太郎/興陽館)

酒屋は主人が亡くなったので、祖母が代って采配を振って家の面倒を見ていた。旧い家であるので、自然に家の定りがついていて、家が乱れず商売を続けていた。

家には番頭、──この男は佐枝竹蔵といった──が居てよく家の為に尽していた。この男は香美郡の久枝村から奉公にきた人である。

これがなかなかのしっかり者であり、後に独立して酒屋を営んでいた。こういう偉い番頭がいたので主人亡き後も、よく商売が繁昌していた。

その頃のことでよく憶えていることは、私はよく酒男に押えつけられて灸をすえられたことである。それが病身の私を強くしたとも思う。