月俸十五円の大学助手になる

大学へ奉職するようになった頃には、家の財産も殆ど失くなり、

家庭には子供も殖えてきたので、暮しは却々楽ではなかった。

酒屋を継ぐ一人子として大切な私だったのである(写真提供:Photo AC)

私は元来鷹揚に育ってきたので、十五円の月給だけで暮すことは容易な事ではなく、止むなく借金をしたりした。

借金もやがて二千円余りも出来、暮しが面倒になってきた。