(イラスト:多田景子)
令和4年に厚生労働省が発表した人口動態統計特殊報告によると、離婚する人の中でも同居期間が20年以上の割合が上昇傾向にあり、令和2年には全体の21.5%になったといいます。当たり前のように夫に尽くしてきたけれど、あまりの理不尽に耐えきれない…そしてきっかけ一つで関係性が大きく変わってしまうことも。有田環さん(仮名・東京都・無職・76歳)は夫の定年退職祝いにホテルランチに誘うと、冷たく断られたそうで――。

ようやく得た安らぎだったのに

夫が定年退職した6年前のこと。デパートで買い物を楽しんだあと、退職祝いにと夫をホテルでのランチに誘った。すると夫は強い口調で「だめだ。大事な用がある。帰る」と言い出した。

急を要するものなのか、後日ではだめなのかと聞いたが、無言で車を発進させる。不愉快で重苦しい雰囲気のまま自宅に着くと、夫は買った品物を慌ただしく玄関の上がりかまちに置き、どこかへ向かった。

長男である夫は、在職中、老いた両親を私に預けて、勤続年数の半分以上を単身赴任してきた。赴任してまもなく舅が認知症になりひとときも目が離せなくなったが、元気な姑は遊びに出かけるので、介護は私の役回りに。

病人の扱いは初めてだったため段取りが悪く要領も得ず、背骨と腰椎を痛め、激痛で這うように整形外科を訪れた。腰から胸までのギプス装着を勧められたが動きにくい。仕方なく、全身くまなくミイラのように白い湿布を貼り、鎮痛剤を服用しながら介護を続けた。

3年後の秋、舅は私に「ありがとう」と涙を浮かべ、痩せ細った手で片手拝みして、その2日後、静かに逝った。数年経ち、姑が雪道で転倒、大腿骨骨折で即入院。直後に乳がんが見つかって手術をするも、1年後に舅の後を追った。その間、近くに住む底意地の悪い小姑に振り回されながらの看取りだった。

これほど夫に寄り添い、嫁の役割を果たして、ようやく得た安らぎの時間。なのに、この夫の態度である。寂しさとわびしさが一度に襲ってきた。

ふとテレビの上に小さく折られた紙片が見える。手に取ると「ヤマダユウコ・版画展」。今日が最終日で12時までとある。夫は夕方近くに帰宅したが、ただいまの言葉はなく、「メシはすんだ、いらん」と言ったきり視線も合わさず自室に直行。