解説

まず考えられるのは、大阪が「食文化の中心」であったということでしょう。その中でも特に、屋台などのテキ屋で買った食べ物を、食べ歩くという文化があったわけです。

この、「食べ歩き」の文化と、たこ焼きってすごくマッチしています。

みなさんは、たこ焼きって「どこで」食べますか? 多くの人は、ちょっとした街のたこ焼き専門店で買って立ち食いする場合が多いと思います。

たこ焼きって、他のものと違って、お店で座って食べたりとか、小料理屋さんで何かと一緒に食べるということはあまりしないですよね。

大阪でたこ焼きが流行したのは、大阪の食べ歩きとたこ焼きの売られ方がマッチしていたからだと考えられます。

そしてもう一つ考えられるのが、阪神工業地帯の存在です。

阪神工業地帯の町工場で働いているような人たちの食文化に、たこ焼きという食がマッチしたと考えることもできます(写真提供:Photo AC)

「え? 工業地帯なんて食になんの関係もないんじゃないの?」と思うかもしれませんが、そんなことはありません。

たこ焼きを作ったことがある人なら、すぐに答えは思い付くはずです。

たこ焼きを作るプレートって、結構特殊な形状ですよね。丸い形に縁取られている、あの特殊なプレートがないとたこ焼きを作るのは難しいですよね。

これは想像ですが、たこ焼きが流行した時に、「たこ焼きの屋台を作りたい!」と思ったとしても、あのたこ焼き器を作れる工場がなければ、きっとたこ焼き屋がたくさんできることはなかったはずです。

阪神工業地帯の、中小規模の工場があったおかげで、「たこ焼き器を作って欲しい」という発注ができたのではないでしょうか。

それに、阪神工業地帯の町工場で働いているような人たちの食文化に、たこ焼きという食がマッチしたと考えることもできます。

町工場で働いているのは、肉体労働に従事する作業員・技術者が多いと言えます。そういう人たちには、安価で手早く食べることができるたこ焼きのような食が好まれたと言えます。