父の遺品からは、ジャンパーと帽子とベストを使うことにした。紺色のしゃれたジャンパーは、私にはちょっと大きいが、下にセーターなどを着込んでも、ゆったり感があって着やすく、スーパーや病院に出かけるのに重宝する。
渋めのグリーンの帽子は、母とデパートに出かけた折、盛んに父に勧めた品だ。男女兼用でかぶりやすいし、父の形見と思って使うことに。ベストは、母方の祖母が父のために編んだもので、父も愛用していた。そのベストを家の中でも着ている。身につけていると、私を可愛がってくれた祖母に見守られているように思えてならない。
一方、母の愛用品は使えるものばかりだ。母は私と違いおしゃれでセンスがよく、近所のスーパーに買い物に出かける時でさえ、タンスからあれこれ洋服を出しては鏡の前で着替えていた。コート類はクリーニング済で、引き出しのセーターやブラウス、パンツなどもきちんと並べられている。
それを見るたび、これらを着て外出していた母の姿が目に浮かび、胸が熱くなる。置きっ放しで逝ってしまった母に、「私にばっかり文句を言って」と腹を立てたこともあるが、今は溜め込んでくれていたことに、感謝さえしている。だって、両親の愛用品を身につけると、守られているようで心強いのだ。
シングルで子どものいない私が溜め込んだものは継ぐ者がいないから、何の役にも立たないだろうが、私の死後は遺品整理業者が何とかしてくれるだろう。そう思うと気が楽になり、タンス、押し入れが満杯でも気にならなくなってきた。