死んでもたましいはお墓に入るわけではない

そもそもスピリチュアルな視点から見れば、お墓にたましいはいません。墓地に幽霊が出るという話もないわけではありませんが、そこにいるのは「死んだら墓に行くもんだ」と思い込んでいるよほど頑固な霊だけ。もしお墓にこだわりを持っていた身内が亡くなったら、「お墓にこだわる必要はないんですよ。さまよっていないで早くあの世に行ってくださいね」と、心の中で語りかけてみてください。たましいは、死んでもお墓に入るわけではないと気づき、理解します。

 

(イラスト◎大野舞)

もしあなたが「夫と同じお墓には入りたくない」「私につらくあたった姑と同じお墓に埋葬されるなんてイヤ」などと思っているとしたら、残念ながら本家の墓にこだわる親戚と同じです。繰り返しますが、死んでもたましいはお墓に入るわけではありません。
お墓はあの世とこの世をつなぐ基地であり、アンテナのようなもの。お墓がなくても故人への思いは届きますが、アンテナという対象物があったほうが思いを込めやすいのです。ですから年に1度くらいしか行けない田舎のお墓が草ボウボウのままでも、供養の気持ちさえあれば、ちゃんとご先祖様には届きます。

それよりも、Aのように親戚と揉めて関係がこじれるほうが厄介。「お金を出してお墓を守っているのは自分たち。だから、これからどうするかを決めるのも自分たちの権利」と主張するのは間違いではありません。しかし親戚と揉めたまま強行突破して墓じまいをすれば、その後の関係がギクシャクするのは火を見るより明らかです。そうなるくらいなら、すべてを俯瞰するように「たましいはお墓にいないし、親戚たちの気持ちが変わるまで放っておこう」と考えるほうが心穏やかでいられます。