最大の「廃棄」は戦争である
だからこそ、捨てることで成り立っているこの社会はちょっと危ういのではないか、と思えてなりません。
金沢のあるお宅へうかがったとき、窓の上の小窓に黒いカーテンがついていることに気がつきました。珍しいことだと思い、家主の方に「これが何かわかりますか?」と聞いたら、知らないと言う。これは、戦争中の「灯火管制」の名残です。当時は、空襲の標的にならないよう、夜間の照明を制限していて、中の明かりが少しでも漏れないように覆っていたのですね。
戦争の記憶を語り継ぐ人もいずれはいなくなります。その時に、歴史を忘れさせないでいてくれるのは、そういったモノたち。けれども、それらが今、どんどん消えていっています。
たとえば、5月1日のメーデー。昔は国を挙げての勤労者のお祭りでしたから、去年も日比谷公園で行進でもあるんじゃないか、と思ってテレビを見ていたんですよ。だけどどこのメディアも、「メーデー」という言葉さえ発しなかった。
1952年、僕が大学1年のときに起きた、デモ隊と警察部隊の衝突「血のメーデー事件」とか、そんな話はもうこれっぽっちもメディアに出ない。つまり、我々は戦後の記憶を捨てているんです。