源平合戦は野球なら接戦だった

天野 とはいえ、実は木曽義仲はコアなファンが多いんですよ。

今村 そうらしいですね。芥川龍之介も義仲が好きなんでしたっけ?

天野 そう。『猛き朝日』の帯にも推薦コメントを寄せてもらったし(笑)。あと松尾芭蕉も、お墓が義仲の菩提寺にありますからね。

今村 そこまで人を引きつける、義仲の魅力って何なんでしょう。

天野 身内での殺し合いが横行する源氏の中で、義仲だけは仲間を大切にしているんですよね。鎌倉時代を描いた作品では「脳みそ筋肉」の様に描かれることが多いけれど、源氏の御曹司に教養がなかったはずはない。ただ、時代のキャスティングボートを握っていた後白河法皇とは、絶望的に相性が悪かった。

今村 わかります。義仲は自分たちの権利を巡って後白河法皇と対立を繰り返して、法住寺合戦では軍事衝突までした。最終的には天皇と法皇を幽閉しています。これはそれまでの日本の歴史上、誰も行わなかったこと。義仲にとっては帝よりも自分の仲間たちのほうが大切だったのではないでしょうか。

天野さんの取材先、倶利伽羅峠

天野 僕は、後白河さえいなければ義仲と義経はいい勝負をしていたと思うんです。平知盛はどのような人物だったと考えますか?

今村 知盛は不憫な人物だと思っていたんです。源義経は一騎打ちが主流であった武士の戦を集団戦に切り替えた、時代の改革者です。知盛は義経と戦い、一の谷、屋島、壇ノ浦と、世紀の3連敗を喰らっています。でも戦の内容を見てみると、義経が突如起こした戦術革命に対して、知盛はまったく対処できていないわけではなかった。これが野球の試合だとするなら7対8とか4対6とか、接戦だったと思うんです。

天野 確かに目立つ黒星が3つあるけれど、他の源氏には勝っている。それこそ水島の海戦では、義仲軍に勝ちましたよね。

今村 あれは義仲絶不調のときで、なんなら本人不在だから、義仲の負けに数えるのはかわいそうですが。