父親に期待しない家庭

僕が身勝手極まりない静夫さんと一緒に暮らして、うまくいっていることの1番の種明かしをするとすれば、それは静夫さんの妻である“やす子さん”が人格者というのが大きい。『静夫さんと僕』をきちんと読んでいただければ、「やす子がすごい」ということを読み解けると思います。静夫さんから与えられる日々の小さなストレスが蓄積していかないのも、やす子さんとたくさん話して「ああいう人だからしょうがないね」とお互いに共感しているから。僕としては、この本の題名と帯だけに目を通して「あ、可愛いおじいちゃんと同居してるんだな」って思われるのは不本意なので、やす子さんのことをきちんと知っていただきたいと思っています。そうでないと二人に対する評価がフェアではなくて、やす子さんのストレスが増してしまいそうで居たたまれない気持ちになります。

静夫さんが野草で《魔改造》した浴室。『静夫さんと僕』(著:塙宣之/徳間書店)より

妻は、偉大な母やす子と静夫さんのハイブリッドなので、母としての器と適度な身勝手さを兼ね備えています。子育てを一生懸命やってくれているのはやす子さんと同じで、わが道を行くというか、僕にあまり興味がないところは静夫さん似ですかね。妻は『THE MANZAI』決勝でナイツ一世一代の勝負という時に、同じフジテレビ内で『ホンマでっか!?TV』の観覧に参加していました。僕がM-1の審査員だっていうのも長らく知らずにいたと思います。芸能界全体に対して興味がない。だから僕も気が楽で、妻には仕事の話も愚痴もいつもたくさん聞いてもらっています。

妻と結婚して家を買うとなった時、芸人という仕事柄、僕が家をあけている時間も長いので、妻が、僕の両親と同居をするという選択肢だけは、最初からなかったです。うちの妻は僕の母親と会った時はたくさん喋って仲良くしてくれていますけど、それでも聞き役のほうが多い。毎日暮らすとなったら、やっぱり自分の母親との方がやりやすいに決まっていると思ったからです。

僕は家で本当に自由にやらせてもらっていて、10対0で妻が家庭を回してくれています。娘が自転車に乗れるようになっていたのも最近知りましたし、どこかの塾に行くようになったというのも後から聞かされました。
妻は「静夫さん」というお父さんを持ち、父親に期待しない家庭に育ったもので、多分僕に期待するものもほとんどないみたいです(笑)。静夫さんが一時期タクシー運転手をしていたこともあって、妻の家庭では食事の時間もバラバラでした。だから僕が帰宅すると家族の夕飯は終わっている、ということも多い。

僕が早く起きられた日に、「今日は子どもを送って行こうか?」と言うのですが、もう手筈が整っているみたいで断られます。僕の3人の娘たちは、そんな僕を見て、そしておじいちゃんである静夫さんを見て、「男は奇人である」と判断しているようです。だからなのか「学校どうなの?」とかたまに父親っぽく聞いてみても、「え?そんなの言わないよ」みたいな感じで、まともに相手にされていません。

3人の娘たちは僕、そしておじいちゃんである静夫さんを見て、「男は奇人である」と判断しているよう(撮影◎本社・奥西義和)