兄貴とは今はとても仲がいいです

僕は男3人兄弟に生まれ、僕を含め下2人は芸人になりました。と言っても、笑いの英才教育が行き届いた「ツッコミが飛び交うお笑い偏差値の高い家庭」ではありませんでした。真面目で優しいサラリーマンの父と、チャキチャキで世話好きの母のいるごく平凡な家庭です。みんなで決まった時間に食事の席について「いたただきます!」と言って朝食と夕食をとっていました。

そんな塙家に暗雲が立ち込めた時代がありました。4つ上の長兄が大学受験に失敗してしまったところから悪夢が始まります。母は兄を全寮制の予備校に入れましたが、勉強をするどころか遊びを覚えてしまって、次の年も受験に失敗。母はものすごく怒っていました。

家に戻った兄は、受験のストレスもあったと思うので、高校生だった僕も気を遣いました。頼りになる1つ上の兄(編集部注・タレントのはなわさん)は僕と違って“陽キャ”だったので、夜まで友達と遊んで帰ってこない。僕は学校帰りに一緒に寄り道する友だちもいないタイプで、まっすぐ家に帰っていましたから、その頃のことはよく覚えています。

具体的な目標が見つからず、勉強に身が入らない兄に、母も気をもんでいて…。そんな母を尻目に、今度は次兄が芸人になりたいと言い出しました。僕もその頃芸人になりたいと心の中で思っていましたが、とてもとても言い出せる雰囲気ではありません。

僕と次兄は「芸人になりたい」という話をしたことはなかったんです。でもなんとなくお互いわかりました、2人ともテレビを見る目が異様に鋭くて、普通じゃなかったですから(笑)。そんな経緯を経て、僕は親には内緒で芸人として活動し始めました。今、当時の両親の状況を考えると、長兄がグレて、後の2人も芸人を目指し始めるなんて、生きた心地がしなかったと思います。

長兄がグレて、僕と次兄は芸人志望。当時の両親の状況を考えると生きた心地がしなかったと思う(撮影◎本社・奥西義和)

塙家の息子らが迷走していた頃のある日、大学で僕が最もお世話になっていた先輩の妹さんにバッタリ街で会いました。その方に、「芸人初めたので、ライブのチケットを捌くのが大変。今度良かったら友達と見にきてよ〜」と話しました。その妹さんは親友を連れてライブを見にきてくれましたが、その親友というのが今の僕の奥さんです。

そして、2009年の僕らの結婚式の受付の手伝いとして妹さんが出動してくれた時に、塙家サイドはまだ人生に迷っていた長兄が受付をしていました。その受付業務中に2人は仲良くなり、なんと結婚。それからの長兄は、人が変わったように仕事にも真面目に取り組むようになり、僕や次兄との仲もとても良くなりました。妻と親友は姑が同じ。お正月などには2人で母を囲んでくれています。親友同士同じ家に嫁ぐというのは、女の人の人生としては悪い条件じゃないですよね。妻も親友といられて楽しそうです。というわけで、今の塙家はとても円満な状態に落ち着いています。