【ジェリー藤尾】1940年、中国・上海生まれ。46年に家族とともに日本に引き揚げる。57年、新宿のジャズ喫茶でスカウトされ芸能界入り。61年「悲しきインディアン」で歌手デビュー、「遠くへ行きたい」などヒット曲多数。タレント、俳優としても活躍した。2021年8月逝去。写真は1961年、歌手デビューした頃のジェリー藤尾さん
2023年6月7日放送の『徹子の部屋』は、いまも色褪せない名曲を数多く生み出した作詞家・永六輔さんと作曲家・中村八大さんのコンビ「六八コンビ」と称される2人の曲をスタジオで披露したゲストの傑作選。名曲『遠くへ行きたい』にまつわる永六輔さんとのエピソードを披露したジェリー藤尾さんの映像も。今回は、故・ジェリー藤尾さんとの和解を語った次女の板谷亜紀さん、元妻の渡辺友子さんの対談記事を再配信します。


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歌手のジェリー藤尾さんが、2021年8月、肺炎のため81年の生涯を閉じました。同居し晩年を支えたのは次女の板谷亜紀さん。離婚後は別々の人生を歩いていた元妻の渡辺友子さんもジェリーさんと和解し、最後の日々に寄り添ったそうです。そのいきさつは──(構成=吉田明美 撮影=清水朝子)

パパの体はまだ温かかった

亜紀 パパが亡くなって3ヵ月。今でも、あの日のことを思い出すと涙があふれてきます。

友子 土砂降りの夜だったわね。

亜紀 パパはいつも、用事があるとLINEで私たち家族を呼んでいたのですが、その夜はそれがなくて。おかしいなと思って様子を見に行ったんです。そうしたら、リモコンを持った手がだらんとしていて……。

友子 すぐに病院の先生と私に知らせてくれたわね。

亜紀 亡くなったことを受け入れるのは、つらかった。私が触れたパパの体は、まだ温かかったから。

友子 私も電話をもらってすぐ、駆け付けました。5日前に会った時はいつもと変わらない様子で、元気だったのに……。

亜紀 前の日も普通に話をしていたから、こんなにあっけなく逝っちゃうとは思わなかった。

ジェリー藤尾さんの次女・板谷亜紀さん(左)と元妻・渡辺友子さん(撮影:清水朝子)

友子 でも、最後は娘や孫、ひ孫と暮らすことができて、幸せだったと思う。眠っているとしか思えない、穏やかな表情だったもの。

亜紀 パパはママと和解できて、ほっとして天国に行ったんじゃないかな。私はそれが一番うれしいよ。