キャッチフレーズは「愛の十万人運動」という皮肉

1948年に施行された優生保護法は2つの目的を持った法律だ。一つは「母性の生命健康を保護すること」、もう一つは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止すること」。

前者は母体を守るための不妊手術や人工中絶手術に関わる。ところが後者は「優生思想」と結びついており、遺伝性とされる障がいを持つ人に、中絶や不妊手術を受けさせること(優生手術=卵管や精管を縛るなどの手術。規定外の子宮摘出手術も行われていた)を規定。さらに優生手術は、本人の同意がなくても、都道府県が設置する優生保護審査会の決定があれば可能だった。

手術の費用はすべて国が負担。戦後、人口が爆発的に増え、食糧不足が進むなか、生まれてくる子どもの数を減らすための政策でもあった。とくに宮城県では、県の精神薄弱児福祉協会が「愛の十万人運動」をキャッチフレーズに、県民から寄付金を集め、収容施設を建設。競うように手術を行っていた。

実際、宮城県で手術を受けさせられた人は1400人以上に上る。飯塚さんが入所した小松島学園は、優生手術の徹底を方針としており、多くの10代の若者が手術を受けさせられたという。

優生保護法が母体保護法へと改正された1996年時点で「当事者の98%が倍賞の権利を失っている」(20年経過して民法の「除斥期間」を過ぎている)として、国は特別立法の制定を行わなかった