「国に謝罪してほしい」声を上げた飯塚さんに追い風

1996年、優生保護法は優生思想を排除した「母体保護法」に改正された。その頃、飯塚さんは声を上げる。

「その後も子宮外妊娠や卵巣腫など婦人科系の病気にずっと悩まされて。いつ死ぬかもわからないので、生きている間に、なんとかして国に謝罪してほしかったのです」

市民グループなどの集まりで自身の体験を告白したが、ほかにもいるであろう被害者は名乗り出ない。一人で県や市に情報公開を求めたものの、当時の記録は廃棄されており、「不存在」との回答。強制的に手術をされたという証拠がなく、訴え出ることもできない。優生手術に関して集めた資料は段ボール箱2つ分にもなった。

20年以上一人で訴え続けて来た飯塚淳子さん(70代・仮名)。「どうして手術を受けねばならなかったのか」。国や自治体への怒りを抑えられない

2013年、飯塚さんは仙台市内の生活相談で新里宏二弁護士に出会う。「実は、私もその時初めて強制不妊手術のことを知りました。飯塚さんが訴え続けなければ、この問題が日の目を見ることはなかったと思うとゾッとします」と新里弁護士。

まず2015年に飯塚さんは日本弁護士連合会(日弁連)に「人権救済」の申し立てをした。そして厚生労働省に救済を要請したが、「当時は合法だった」と、訴えに応じない。17年2月、日弁連は「優生思想に基づく優生手術と人工妊娠中絶は人権侵害だ」とする意見書を厚生労働大臣宛てに提出。このことで追い風が吹いてきた。

後編に続く〉