気づいたときにはベッドに寝ていた
1年間学園で過ごした飯塚さんは、その後も家には戻れず、「職親」制度(知的障がい者を預かり、「更生に必要な指導訓練」を行う)のもと、不動産会社を営む家庭で働くことになった。奥さんには馬乗りになってホウキで叩かれ、食事も満足に出してもらえず、常にお腹を空かしている状態。給料ももらったことがない。あまりのつらさに逃げ出したが、すぐに連れ戻された。
「そんな仕打ちを受けていたのに、ある日、奥さんが外出しようと言い出したのです。広瀬川のすぐそばにあった木のベンチで、おにぎりを食べさせてくれました。いつも厳しいのに、どうしてだろうと思いながら、一緒に愛宕橋を渡りました」
愛宕橋を渡った先には、県が62年から約10年間運営していた、強制不妊手術を専門に行う診療所があった。飯塚さんは麻酔を打たれ、気づいた時はベッドに寝ていたという。自分の身に起きたことを知らされないまま、診療所に迎えにきた父親と家に戻った。後日、両親が話をしていたのを聞き、事実を知ることになる。そこからが苦悩の始まりだった。
手術を受けた影響で、生理になると突然下腹部が痛み出す。激痛でうずくまってしまうほど。夜も眠れず、仕事も辞めざるをえなかった。移り住んだ関東の病院で診察してわかったのは、手術時に卵管を縛った糸が癒着していて、再手術をしても妊娠は望めないという事実──。
「20代で同郷の男性と結婚したのですが、そのことは話せなかった。でも諦められず、船乗りの夫が長期間家をあけている間に、生後間もない男児を養子にしたのです」。ところが、「お腹が大きくもなかったのにおかしい」と近所で噂になり、耐え切れず子どもと出奔。結局、夫とは離婚した。その後息子を連れて再婚。2番目の夫には妊娠できないことを告白したが、やがて結婚生活はうまくいかなくなり別居した。