新聞は民主主義を支えるインフラ
最近はネット専業のニュースメディアも登場しています。
おやっと思うような新鮮な視点の記事も配信されます。
その一方で、「テレビのワイドショーでのタレントの発言が炎上した」という類のニュースが激増しています。
ネットニュースのメディアは取材にコストをかけるだけの経営的な余裕がありません。
少数の記者がテレビ番組を見て“ニュース”に仕立てるという手法が広がりました。
こうした“ニュース”がネットで配信されると、「これがニュースだ」と思ってしまう人も増えるでしょう。
国会での予算委員会が長らく開かれず、内閣の方針が国民に知らされない。
疑惑が明らかになった政治家が記者会見も開かない。こうしたニュースは関心を呼ばなくなりました。
これで果たして民主主義社会は維持できるのか。私は、それが心配です。
アメリカでは、ネットに押されて多数の地方紙が姿を消しました。
地方紙がなくなった地域では、選挙の投票率が激減しています。
住民が、選挙が行なわれることを知る手段がなくなったからです。
地方政治を監視する新聞記者がいなくなり、地方の首長や議員たちが自分たちの報酬をお手盛りで引き上げていたことが明らかになったケースもあります。
こんな現実を見ると、新聞というのは、民主主義を支えるインフラだと痛感します。