人生の折々には、家族構成の変化やライフイベントをきっかけに、「よし、片づけよう!」と一念発起する瞬間が訪れるもの。その機を逃さず、みごと「自宅リセット」を成し遂げた人たちが、自身を奮い立たせた理由とは何だったのだろうか? 2年間に及ぶ母の介護が終了した美春さん(仮名)の場合は(取材・文=武香織)

いずれ私は、母を殺してしまう

片づけを始めて、不要な物を処分していくうちに、思いもよらない発見をすることがある。

約2年間、認知症を患った79歳の母親を、施設の空きがないため自宅介護していた美春さん(55歳・パート)。父親はすでに亡くなっており、夫とは離婚。唯一の頼れる存在は、同居中の23歳の娘だったが、本人は小遣い稼ぎ程度のアルバイトをするほかは毎日テレビゲームに没頭。介護どころか、家事さえしようとしなかった。

母親の認知症は急激に悪化し、目を離すと徘徊、自分でオムツを外しそこらじゅうに粗相してしまう。美春さんは勤めていた弁当製造会社を辞めざるをえなくなり、母親がデイサービスを利用する間に稼いだパート代と、母親の国民年金だけで生活することになったという。

「何も手伝おうとしない娘への怒りや諦め、経済的な不安もありましたが、それを考える余裕もないほど、母の世話でクタクタでした……。介護する前は毎日きちんと掃除していたのに、2週間に1度できればいいほう。夏場なんて、収集日の朝に起きられなくてゴミ出しができず、コバエがわき異臭がするまで放っておくこともたびたび。さすがに娘もこたえたんでしょうね、ゴミ出しだけは手伝ってくれるようになりましたが……」

娘のささやかな手助けを得ても、美春さんの疲れは溜まるいっぽうだった。ある日の真夜中、廊下で粗相をした母親を見て、思わず「オムツを外すのなら、トイレに行って!」と怒鳴り、裸の尻を何度も叩いた。

娘の「お母さん、やめて!!」という叫び声で我を取り戻した瞬間、母親の尻が真っ赤に腫れ上がっているのが目に入り、愕然とする。「いずれ私は、母を殺してしまう」。自分が恐ろしくてたまらなくなった。

「その出来事の数週間後に、幸い施設への入所が決まったのですが、もし決まっていなかったら……と想像すると、今でもゾッとします」