どうしてこんなに酷い仕打ちを?
私は、韓国の済州(チェジュ)島で生まれ、大阪で育ちました。何度か引っ越しをしましたが、ずっと大阪の阿倍野区と生野区の間、コリアンタウンに近いエリアに住んでいましたね。
わが家は本当に貧乏で、一家7人で4畳半に住んでいたこともあります。暖房なんてないので、寒い季節はきょうだい5人でくっついて暖を取っていました。そうやって生きてきたからか、それぞれが広い部屋に住めるようになっても、いまだに集まると床に座って、足を絡めたり、体が触れる距離でギュッと固まってしまう。そばには立派なテーブルと椅子があるのに。(笑)
テレビもおもちゃも何もないからこそ、工夫して遊ぶことの楽しさも知りました。たとえば、裏が白いチラシ1枚あれば、福笑いが作れます。目と鼻と口を描いて切り、並べながらみんなでゲラゲラ笑っていました。
チラシが無い場合は、しりとりなど「言葉」で遊ぶ。だから、今でも私たちは言葉遊びが得意で、USJで2時間半並んで待てと言われても、余裕で遊んでいられます。(笑)
両親は、共働きで必死に働いて私たちを育ててくれました。両親は日本語が完璧ではなかったので、家庭内でも「話す側」「聞く側」チームに分かれて、ゆっくりと丁寧に会話することを習慣にしていましたね。
話す側は「いつ、誰が、どこで、何を、どう感じたのか」を明確にする。そして、聞く側は「質問、頷き、共感」をすることがルール。「常にわかりやすく、気持ちや理由を伝える」ということを徹底的に身につけたので、私たちは今もコミュニケーションが取れているのかもしれません。