「武勇伝、武勇伝」で僕ら、こっぱみじん

清水 下積み時代は長かった?

小宮 それはもう。いまはマセキ芸能社にいますけど、養成所は人力舎のスクールJCAで、そこではトップだったんですよ。

清水 疑うわけじゃないんだけど、トップの基準ってなに?

小宮 しっかり疑ってますね。(笑)

相田 月1のライブがあって、最後にお客さんに投票をしてもらうんです。

小宮 それで3ヵ月連続で1位になって、ドランクドラゴンさん以来だよ、なんて言われて舞い上がっていました。ところが、よしもと芸人さんたちとの対抗戦で、初めて外の芸人さんを知るわけです。

清水 強豪、よしもと。

小宮 3対3の対抗戦で、僕らはJCAのトリで出て、まあまあウケた。でもその後に出たのが、まだデビューしたてのオリエンタルラジオ。「武勇伝、武勇伝」で僕ら、こっぱみじんですよ。心が折れて、そのまま養成所を辞めて、いったんフリーになりました。

清水 え、そんな1回の出来事で辞めちゃったの?

相田 それがもう、すっごいウケ方だったんですよ。楽屋まで爆笑が聞こえてきて。「武勇伝」のネタは当時始めたばかりだったから、それを聞きたくて来たお客さんじゃない。ああ、こういう芸人じゃないと売れないんだ、と思いました。本当にズタズタにされました。

小宮 ズタズタにされながら、言い訳だけはしてた。「オリエンタルラジオは、漫才じゃなくてリズムネタだからだよな」。

相田 「キャッチーだと、売れやすいよね」。

小宮 次に同期のニッチェが売れたときも、「女性コンビだからね」。

相田 「やっぱ目立つし、ウケやすいよね」。

小宮 でも、後輩のジグザグジギーが、僕らが本戦にさえ行ってないキングオブコントの決勝に出たときには、もう言い訳がなくなりました。「あいつらは面白いからな」って。

清水 やっと認めた。(笑)

相田 そこからは焦りましたね。